ムレスナさんについて
ディヴィッド.K氏と
ムレスナティー
人となりと、創業のきっかけ
パッケージにある「ディヴィッド.K」のサイン。この人こそ、日本にムレスナティーを広めた社長です。でも正真正銘の日本人。「小学生のときから学校が嫌いでランドセルを背負う意味も分からなかった」と外国人並みに日本の規格からかけ離れたユニークな人物です。だから、この愛称もお気に入り。中には「お金持ちの道楽で紅茶を始めた人」だろうと、想像する人もいるかもしれません。でもそれは大きな誤解。彼はゼロからスタートし、様々な危機を独創的な発想で切り抜けてきたのです。
そんな規格外な社長が商売の意識に目覚めたのは10歳の誕生日。母親につれられ、当時はまだ珍しかったバイキング料理を食べに行ったときの事です。好きな物を好きなだけ食べられるパラダイスに、デイヴィッド少年はもう夢中。でも夢はお会計の時に覚めました。あまりの大食ぶりに大人料金を請求される自体に。「おかしい!」と心で叫びながら世間の不条理を実感した出来事でした。「なぜかそのとき、自分で会社を作ろうって思ったんです。人を幸せにできる、自分が良いと思うものを世の中に広めたい」、未来のディヴィッド社長誕生の瞬間でした。
ムレスナティーとの出会い
1985年、25歳の時に念願の会社を立ち上げ、海外の雑貨等を輸入販売していたディヴィッド。10歳の頃の気持ちを持ち続けたまま、自分が面白い、美しいと思う物を取り扱っていました。そんな彼がムレスナティーに出会ったのも、この頃。「当時はコーヒーが一般的だったけれど、僕は好きじゃなくて。紅茶は詳しくなかったけれど、ストレートティーは普通に飲んでました。特別美味しいとは思ってなかったな。」
ある時、クライアントに「このスリランカの紅茶が美味しいから仕入れて」と頼まれたのが、ムレスナ社に出会ったきっかけでした。カタログの中で特に彼の目をひいた愛らしい木箱入りの紅茶を輸入したのです。「当時、これが雑貨店等へよく売れて、一度に10,000個のオーダーが入った事もあったよ。」ところが数年経ってブームは下火に。けれどもディヴィッドは仕入れを止めませんでした。なぜなら、本国のムレスナ社の社長であるアンスレムペレラ氏に不思議な魅力を感じたから。自分の直感を信じる彼らしい行動でしたが、これが彼のビジネスに大きな危機と新たなチャンスをもたらす運命だったとは当時はまだ知りませんでした。
「本当にやりたい事なら、引かない。」
木箱の紅茶ブームが陰りを見せた頃、ディヴィッド自身も曲がり角に立っていました。「輸入販売という流通ビジネスに失望感を頂き始めたのです。本当にやりたい事をやろうと思って会社を立ち上げたのに、いやになってきた上、収益も下がり始めていました。」気づけば最後に残ったのは山積みになったあの木箱に入った紅茶と借金だけ。でも言い換えれば最後までディヴィッドが守り残したのはムレスナティーの紅茶だったとも言えるかもしれません。
さて、そこで彼が取った行動は、驚くべきものでした。なんとさらに借金を重ねて自らのティーハウスをオープンする事にしたのです。しかも、納得のいくものでないと愛せない性分ゆえ、店舗設計は京都でも人気の設計事務所リブアートに依頼。ティーカップはウェッジウッドのエブリデイユースというシリーズをオーダー。暴挙とも言えるプランですが、「本当にやりたい事なら、引かない。信じて耐えないと」と大きな借金を抱えたまま贅沢過ぎるティーハウスをつくったのが、西宮にある現在の本店の始まりです。1998年の事でした。
背水の陣で西宮本店をつくった翌年、京都に系列店もオープンしたんです。この年は本当に地獄でした。当時は僕も京都へ手伝いに通っていたんですが、とにかく誰もこない。立地は良い、内装も素敵、茶葉は最高。でもひどい時には1日のお客さんがたった一人という日もありました。売上は1杯分、750円。自宅がある甲子園口からの交通費が往復2500円くらい。帰りの電車では悔しいやら悲しいやらで月末になれば人件費や家賃の支払いがある。さすがの僕も心身ともに疲れ果てて、京都から帰る途中に無意識に電車のホームからすーっと降りようとしていて、自分でもゾッとしました。
今にして思えば、最初からうまく行っていたら、「俺は一番や!」と天狗になっていたかもしれない。これでよかったんですよ。その後、ムレスナティーが認知されるにつれて、京都店も軌道にのりました。一日でたった一人ご来店頂いたお客さん、実は今でも通ってくださっているんですよ。「あの日、あなたが作るロイヤルミルクティーに感動したのよ」って。最高だよね。
アンスレム氏からの信頼
ムレスナとの取引が始まってから約20年後、初めてホテルでお茶会を企画しました。そこに思い切ってアンスレムを招待する事にしたんです。それまで結果を出せなかった僕の成果発表のつもりです。
開場に到着したアンスレムの第一声は「ここにいるのは本当にみんなリテール(一般消費者)なのか?ホールセラー(小売り業者)じゃなくて?」業者の会合だと思っていたアンスレムは、決して安くない会費で集まった大勢のムレスナファンを前に、目を丸くしていました。そして、「これが君の紅茶の世界なんだな」と僕の方を抱き、労ってくれました。
僕が無理に業務販売を拡大せず、一般のお客さんとの地道な交流を大切にして来た事を一瞬で理解してくれたんです。
ここから、アンスレムの僕を見る目が変わったような気がします。ずっと内緒にしていた、日本だけのパッケージについてもお咎めなし、むしろ「今後もお前が思うようにやれ」と後押ししてくれました。
多分、この日が僕の人生で最大のターニングポイント。ずっと薄暗かった道が突然、パアッと明るくなったような気持ちでした。
オリジナルフレーバーの起こした奇跡
ムレスナティーは、スリランカで栽培される良質のセイロンティーブランド。世界三大茶葉と称されるのが、インドのダージリン、スリランカのウバ、中国のキーマンです。スリランカのコロンボに初のティーオークション市場が出来たのが1883年の事。紅茶の歴史としては150年ほどと比較的新しいため、インドや中国と比べると認知度が低いようですが、セイロンティーは渋みや苦みが少なく、柔らかな風味をもつ、とても質の高い茶葉なのです。ある意味、日本人の好みに合う茶葉と言えるでしょう。
ムレスナティーの特徴は、まず茶葉の鮮度と、コンディションの良さ。だから水で抽出してもふんわり、しっかりと茶葉が開き、香味が楽しめます。次にフレーバーのバリエーション。マイルドで雑味のない茶葉に、スイス・ジボダン社のフレーバーでさまざまな風味をプラスしています。香料とはいえ、天然果汁などから抽出された限りなくナチュラルなものなので、後味もすっきり。茶葉の渋みを消す為のフレーバではなく、美味しさを引き出してくれる名脇役なのです。
本国でつくられているフレーバーティーは100種類ほどあります。なかには柑橘系のサワーサップなど、日本では見かけない果実の香りも。基本的にはシングルフレーバーとしてそのまま楽しむ物でしたが、日本のムレスナティーではそれらを組み合わせ、オリジナルブレンドを作っています。
あまりの美味しさに、海外で販売されたものもあります。月ごとにオススメのブレンドが登場するので、メニュー数は200を軽く越え、現在も増加中。
紅茶の世界と向き合う事を決心し、「美味しさを分かってもらえたら、絶対ファンが出来るはず。この魅力を自らお客さんに伝えよう」と完成したばかりのティーハウスで客を待ちました。ところが世間で紅茶ツウと呼ばれる人たちの間でセイロンティーはメジャーではなかった事もあり、無情に時が流れるばかり。在庫と借金の山は減りそうにありません。
そんなある日、悔しまぎれに木箱のパッケージを開封して在庫を処分しているときの事。ふわりとアプリコットの香りが漂い、次の箱を開けるとキャラメルの香ばしさが広がって、それが一緒になったとき、ディヴィッドの頭にズキンと衝撃が走りました。「その香りからストーリーが湧いたんです。アプリコットがキャラメルに恋をして、そこにブルーベリーがちょっかいを出す三角関係。」そんなイメージでブレンドしたのが、初のオリジナルブレンド「アプリコットロマンス」会社のピンチだった在庫の山が、一瞬にして宝の山に。まさに「ピンチはチャンス」です。
ARTofTEA
LIVING with TEA 参照